どうしようもないね

綿矢りさの「かわいそうだね」を買った。

「インストール」は面白かったし、映画も良かった。

(それに神木隆之介は同い年だ。)

「勝手に震えてろ」はすごく染みた。

あそこまではこじらせてないけど、

私も遠からず、である。

読む前に、誕生日だと言った知り合いにあげてしまった。

(私はたびたび人に本をあげてしまう。そう、前にもこんなことがあった。返してもらうつもりだったけど、風呂で読んだと言われたから反射的にあげる、と言ってしまった。絶版に近い本だったからふたたび購入するのには少し苦労した。)

誕生日に「かわいそうだね」というタイトルの本をプレゼントするのは少し躊躇したけど、

その人は「いいタイトルだな、読んで欲しけりゃもらうよ」と言っていたので、じゃあ読んでと答えた。

「かわいそうだね」はもそもそとメッセンジャーバッグにしまわれていった。

ふたたび自分用に「かわいそうだね」を買った。

初恋の人の名前を、サイトのパスワードにするくらいには私は気持ち悪い。

なんでもない①

色んなことや物に触発されてブログ?を始めてみることにした。

ブログ自体は高校ぶりなのです。

やたら流行りました、自分の気持ちをネット上に晒すことが。

その頃はまだTwitterとかなかったから、

流れる、とか目に入る、じゃなくて見に行かなければならなかった。

消極的に垂れ流された鬱憤やら惚気やら欲望だとかを、私たちは積極的に読みに行っては明日のクラスの行く末を敏感に察知しては右往左往したり、めかしこんで見たり、動揺し、笑い、何食わぬ顔で再テストから逃げ回るなどしたものだった。

気まぐれに更新されるブログには、

濾過する前の本音やでまかせが詰まっている。

部活の仲間同士で作って日替わりで更新したブログは、いつしか成人式を迎える頃には一定期間アクセスをしなかったことによる規約違反でまっさらに削除されていた。

永遠に見れなくなった、インターネットの狭間に落っこちた私たちに未だに別れを告げられずに

一枚のガラスごしに、おーい、おーい、と呼びかける。

返事は今はないけれど、いつか帰ってくるかもしれない。

例えば、インターネットのゴミ箱がぱんぱんに膨らんで堪えきれずに爆発したときなど、に。

本日はこれにて。